昔話や神話などの物語は遠くから見ている視点で描かれている。
昔々ある所でおじいさんとおばあさんが居ました…。おじいさんがどんな人か、何を考えているかは描かれない。
おじいさんは、たんに年をとった人なのだ。感情は窺い知る事しか出来ない。たとえ悪い狸におばあさんを殺されてしまっても、おじいさんは嘆き悲しみました。というくらいにしか描かれない。あくまで離れた視点、外から見た出来事。それが昔語や神話の世界の表現だ。
出来事が主で、出来事で淡々と物語が進む。個の感情は、あまり伝わってこない。
だが、近代の小説などは外からの視点でなく内からの視点、考え、感情で、描かれる事が多くなる。これは個という考え方が広まってくるにつれて顕著になってきたようだ。いわゆる内証的な物語が好まれるようになった。他の人が何を見、何を感じているかを知りたい。そう考えるようになったのだろう。
そうなると個の視点なので状況は個が感じたものになる。客観的ではないので多くの人がはっきりと分る状況ではない。個人的な主観なので事実と異なっている場合も分らない事となる。一つの出来事は、個々に幾つもの解釈が生まれるものだが、出来事そのものはあくまで主人公の視点での解釈となるので、解釈についてあまり多様性は生まれない。その辺を突いたのが、芥川龍之介の「藪の中」の物語なのかもしれない。登場人物のそれぞれの視点で、出来事が全く違う形で解釈されていく。夏目漱石が、個の視点での小説を追求した時期に登場しているのが面白い。
さて客観的な出来事を描かないで、個を描く道を進んだ小説は、出来事を外からの視点で描く事をやめ、その代わり感情の変化を描く事で出来事の形を見せる事となる。描写は細かくなり感情や思考は変化し続ける。葛藤や悩み、喜び恐怖と言った感情が中心となって、個にとって何が起きたのかが描かれる事となる。
先ほど書いたようにこの出来事は、あくまで描かれる主人公の主観であって、客観的な事実であるわけではない。人生そのものも主観でしか感じられない事は事実ではあるが、偏ったものの感じ方も生まれるかもしれない。個の視点は客観とは違う。ここには注意しなくてはならないだろう。
小説にしろ、マンガ、アニメにしろ、映画、ドラマにしろ現在の物語は殆ど主観の物語だ。
それは感情を細かく描き、人の心を大いに揺すぶるが、あくまで個の主観に基づく物語である。
そこでの出来事は多くの人が納得する事実ではない可能性がある。そこを踏まえて感じ取らないと、バランスを欠いた感覚に陥らないか少し心配である。何か現代においての、様々な問題に関係しているかもしれない。
昔話や神話の持っている客観的視点。
主に主観で描く現在の物語形式で描いている私にとっても、それはとても面白いものと感じられている。
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