2012年12月24日月曜日

つらつら考えるに。

クリスマス時期になって
最近はそうでもないみたいですがカップルで過ごすイメージに対して
孤独を嘆いたり笑い飛ばしたりする書き込みもありますね。

孤独は現代社会で問題になったりもしてます。
いじめ問題、青年層の未婚問題、孤独死など
孤立してしまうと人間辛いものです。
めんどくさくて一人でも生きられると考えてしまうこともあるようです。

まあでも、いわゆる個人対社会という、システムの心理的側面で語られることが多いのですが、今の社会は多くの人に支えられて成り立っています。
衣食住と言いますが、服も、食べ物も、住まいも、自分一人では作れません。

ぼんやりと一人で鉄を作れないかなと考えたのですが、まず、鉄鉱石が見つからない、では川で砂鉄を探そう、これは大変だけどなんとかなるかも、磁石があるといいんだけど…まあ何とかなるとして、さて、たき火では熱が足りないので、炭を作らないといけない、吹子もいる、溶けて金属を居れる入れ物、精錬するにはどうしたらいいのか…やっぱり無理かも…粗鉱を作るだけでもこれです。

まして、大工道具を作るなんて何年かかるやら…。石器の方が早い。
となるとTVやパソコンなど絶対に無理。

野菜にしても種が見つからなければ話にならない。食べるまで育てなくてはならないので、自生しているものを食べてつなぐしか無い。冬場が心配ですね。
服も繊維を作るのがとても困難。うーん。

てなことで、
一人で生きるのはとても難しいです。

今の社会は様々な問題を抱えているとは言え、とても素敵な生活が出来ている。
それは多くの人が力を合わせているから。
ここは忘れてはいけないことでしょう。
それを踏まえてから孤独の問題を考えることが必要でしょうね。



2012年11月11日日曜日

いろいろiroiro

時々
思い出してしまうことは
あー色んな失敗をしてしまったよねーと言うこと
まあ、失敗しないってことは不可能なんだろうけど
失敗自体は、
だいたい疲れて投げ遣りになった時に起きてる感じがします。
努力不足なのか、強情なのか
失敗自体は取り戻せてないことが多いですね。
人に対する失敗だと
きっとそのことで対した人は
私を嫌な人間だと思ってるだろうなって思います。
本来
謝るとか説明をすれば
ちょっとは違うのかもしれませんが
やらなかったりやれなかったりしながら
時が経ってしまってます。
幾つかは
特に記憶にいつまでも残ってるのは
そう言うことが出来なかった事。
記憶に残ってるってことは
何とか取り戻そうと考えてるのかもしれませんね。
まあ、失敗を
取り戻したいのは
少しは良い人だと思われたいのかもしれません。
なかなか上手く行かないけど
失敗も
何かの役に立てたいんでしょう。
まあ、形を変えて
役に立てるしかないのかも
とも思います。
そうだね。
何かで役に立てれば
失敗も役に立つことになって少しはましかも。
なるべくそうして行きたいな
と思います。

2012年10月10日水曜日

むかしのこと。

今日の夕刊に
認知症で会話もままならない老人が
昔の話を聞かれるとよく覚えていて
ちゃんと会話が出来た。と言う記事がでていました。

何となく
それについて覚えがある事は
母が入院していて
もう声も出ず身体も動かないので仕方なく
見舞いにいく度に、母が若い頃の、昔の歌のCDを小さくかけていました。
消灯になってしまったので止めて帰ろうとすると
6つあるベッドの同室の方が
「もう終わりなんですか?」と声をかけてきました。
「ご迷惑かと思って」と言うと。
「とんでもない。みんな楽しみにしているんですよ。私たちは今の歌より昔の歌の方がいいんですよ」と言いました。
「そうですか。じゃあ、もう少しかけておきますね。30分くらいしたら自動的に止まりますから」
そういって再び曲をかけて帰ろうと、ふと母の横のベッドを見ると
いつもは奇声をあげ、身体をねじってばかりいて認知症かなと思っていた女性が
私を見て手を合わせてお礼を言っているようです。
そうかこの人も聞いていたんだなと思うと、不思議なような寂しいような気持になりました。

全員老いた女性の病室
彼女らが若くそれぞれに働いたり恋をしたりした時代の曲。
消灯された病室で
その思いは静かに流れる曲とともに
幻のように浮かんでいたのかもしれません。





2012年10月1日月曜日

ストーリー作り。

ストーリーってある程度形が決まっていて
面白い話とか、伝わる話には構造があったりします。
それは、映画とか小説とかを見たり読んだりしていても解る。
いっぱい見てると自然に分っちゃう。

最初は、その場がどうなってるか理解する所
で、何か出来事が起きて
どうにもならないかもと展開してゆく
で、工夫したり、勇気を出したり、決断したりして
結果となる。
こんな形が基本形です。

つまりは
追い込まれた時、どうそれを乗り越えるか
を見せると、面白い。
人は困難を乗り越えるのが好きなんです。

ファンタジーにしても恋愛にしても
同じ構造です。

乗り越え方によって
笑っちゃったり、感動したり、爽快になったりします。


物語は一種の疑似体験で
自分がそこに入り込めば入り込むほど
面白い訳で
状況や人物に興味を持てれば入り込みやすい
自分に似ているとかまたは正反対な人物
この人はどうするんだろうと興味を持てれば
読んだり見たりします。

作り手は
そんなちょっとした所を
大事にしてよく考えて創っています。




2012年9月17日月曜日

夏ももうすぐ。

まだ暑い日が続いていますが、夏は終わりつつあります。
プールに行きました。

2012年7月23日月曜日

好奇心が人の文化をつくる。

なんだかんだと言って好奇心旺盛な人類は、
珍しいもの、目新しい物が大好きで、
それが便利だったり楽しかったりすると、わらわらと寄ってきて
夢中になっちゃうものです。

ただ、たとえ新しいものでもつまらなければ、
最初は寄ってくるものの、あとは無関心になっちゃう。

難しくて自分に使えない物も、どんなに便利でも、ポイですね。

商品やコンテンツなどに顕著だけど
なんだか思想、制度とかも同じじゃないかな…と思ってしまいました。

2012年7月14日土曜日

きざはし。

ぼんやりと社会、文化を見ていると、無秩序と破壊、欺瞞、不信、攻撃、逃避、疲労などの斑模様が見えますが、でもその中に。
なにか、何かは解らないけど。
何かの萌芽のような、胎動のようなものを感じます。
何かが変わりつつあって、荒廃の先に、次の社会、文化が生まれる予兆がするような気がします。
何かは解らないほど微かではありますけどね。

2012年6月30日土曜日

物語について。


昔話や神話などの物語は遠くから見ている視点で描かれている。

昔々ある所でおじいさんとおばあさんが居ました…。おじいさんがどんな人か、何を考えているかは描かれない。
おじいさんは、たんに年をとった人なのだ。感情は窺い知る事しか出来ない。たとえ悪い狸におばあさんを殺されてしまっても、おじいさんは嘆き悲しみました。というくらいにしか描かれない。あくまで離れた視点、外から見た出来事。それが昔語や神話の世界の表現だ。
出来事が主で、出来事で淡々と物語が進む。個の感情は、あまり伝わってこない。

だが、近代の小説などは外からの視点でなく内からの視点、考え、感情で、描かれる事が多くなる。これは個という考え方が広まってくるにつれて顕著になってきたようだ。いわゆる内証的な物語が好まれるようになった。他の人が何を見、何を感じているかを知りたい。そう考えるようになったのだろう。
そうなると個の視点なので状況は個が感じたものになる。客観的ではないので多くの人がはっきりと分る状況ではない。個人的な主観なので事実と異なっている場合も分らない事となる。一つの出来事は、個々に幾つもの解釈が生まれるものだが、出来事そのものはあくまで主人公の視点での解釈となるので、解釈についてあまり多様性は生まれない。その辺を突いたのが、芥川龍之介の「藪の中」の物語なのかもしれない。登場人物のそれぞれの視点で、出来事が全く違う形で解釈されていく。夏目漱石が、個の視点での小説を追求した時期に登場しているのが面白い。

さて客観的な出来事を描かないで、個を描く道を進んだ小説は、出来事を外からの視点で描く事をやめ、その代わり感情の変化を描く事で出来事の形を見せる事となる。描写は細かくなり感情や思考は変化し続ける。葛藤や悩み、喜び恐怖と言った感情が中心となって、個にとって何が起きたのかが描かれる事となる。

先ほど書いたようにこの出来事は、あくまで描かれる主人公の主観であって、客観的な事実であるわけではない。人生そのものも主観でしか感じられない事は事実ではあるが、偏ったものの感じ方も生まれるかもしれない。個の視点は客観とは違う。ここには注意しなくてはならないだろう。

小説にしろ、マンガ、アニメにしろ、映画、ドラマにしろ現在の物語は殆ど主観の物語だ。
それは感情を細かく描き、人の心を大いに揺すぶるが、あくまで個の主観に基づく物語である。
そこでの出来事は多くの人が納得する事実ではない可能性がある。そこを踏まえて感じ取らないと、バランスを欠いた感覚に陥らないか少し心配である。何か現代においての、様々な問題に関係しているかもしれない。

昔話や神話の持っている客観的視点。
主に主観で描く現在の物語形式で描いている私にとっても、それはとても面白いものと感じられている。



2012年6月4日月曜日

未来。

日本の経済についてのニュースを読んでいて、今ひとつ景気が浮上しないのは日本の将来性に光が見えないからと言う記事がありました。
子供は少なく、高齢化が進んでいるし、今まで力があった先進企業も遅れが目立つとの分析。政治的な弱さも目立つと、まあ、そうなんでしょう。
だけど、だから、やっぱり若い世代を大事にしていかなきゃねって思う。
子供や青少年、(もちろん女性も含まれる。日本語は男性優位のままですね)
未来を創るのは実際の所この人達なのだ。
そしてきっとやれると思う。

いま、社会を動かしている人達の多数は高齢者で、当然のことだが、自分たちの有利になるように意見を言っていると思う。当たり前だけど。
だから年の若い人達は少々ないがしろにされているかもしれない。
でも、ちゃんと考えている人だっているし、あまり考えたくはないけど年をとれば活力が衰える、そしてこの世から消える時がくる。

その時に、時代をまかされた時にあわてないように力を付けて欲しい。
感性は素晴らしいと思うし、行動力だってある。やや、足を引っ張られたり、利用されたりしちゃかもしれないけど、注意してれば決してそれに飲まれてしまう事はない。
やり直す事すら容易なのだからね。

だから力を蓄えて。どんな人にもチャンスは必ず複数くる。そこを逃さないために、
自分なりに用意しておこう。
自分を磨いておいて、それぞれの望みでチャンスをつかんで。
価値観や成功の仕方は複数あるから色々な価値観でよりよい世界を作って欲しい。
時間は止まらない。いずれ時は過ぎる。
未来はいつの間にかやってくるから油断しないで。

私たち年長者もより良い世界にするためにがんばるから、みんなも頑張ってね。







2012年5月5日土曜日

うーん。


原子力発電所がすべて稼働停止したんですが、発電しなくなっただけで別に止まったわけではないんですね。

いったん反応が始まった燃料棒を止める手立ては今の所ないようなので、制御棒で反応の速度を緩めて、水でガンガン冷やしてると言うだけで、地震などへのリスクがさほど減ったわけではない。

でも途中で抜いちゃうのも危険すぎて難しい。原子炉の中の方が制御しやすいし安全です。となるといれっぱなしですね。

冷温停止は、ゆっくり原子の崩壊が進んでいるので、このままですと、稼働しているより取り出すのが長くかかっちゃう。その間ムダに冷やし続けなくてはいけませんね。リスクもその間ずっと負い続ける事になります。

だったら点検したり制御のバックアップをしっかりしたら発電した方がいい気もします。冷温停止より早く反応するから早く取り出せます。

使い切るのを前提に、今後どうするか考えるのがいいと思うんですけどねー。

2012年4月14日土曜日

電子書籍が売れないわけは…。

いわゆる電子書籍には好奇心しかなかったけど、岩波文庫が出たとの情報があった時に、がぜん欲しくなった。岩波文庫がファンってほどではないんですが、しっかりした本なら入れときたい。

電子書籍はデバイスが色々あって課金方法もバラバラで、配信も不安定で、本に比べて高い値段(実物がない。装丁などの楽しみがないわりに別に安くもない)と言うイメージですから。
しかも、果たして手に入れて持つのかいな?いつの間にか使えなくなっちゃうんじゃないって言う不安がある。かつラインナップが読み捨てっぽいイメージがあって、わざわざ手間をかけてちょい読みな本を手に入れたってしょうがないや、と思っていたのです。
今でもイメージは変わらないけど。ああそうか、やっぱり欲しい本が少なかったんだなと思いました。

とは言えこう考えてみると、まだまだ条件付きと言う感じかな…。


本ってジャケ買いっていうか装丁も結構大事で、これなら高くても欲しいという造りの本も多い。
文字の段組みもリズムの一つで味わいが違う、活字の質にも好みがある、内容とあっている造りが必要で、現在の電子書籍はその辺りのセンスが考えられていない印象ですね。

本は単なる情報じゃないんですよね。商品です。
お酒に例えればアルコール入ってれば良いでしょとかじゃないでしょ?味、香り、喉越し、パッケージ、イメージ、歴史、など総合的な作り方をされている。それで商品になっている。

電子書籍が売れないのは、そういった商品としての力が弱いからじゃないかな。

2012年3月25日日曜日

空と雲

新しい生活を控え。
希望と不安な日々を迎えてる人も多いはず。日本と言う国もちょっとそんな所なのかも。
嫌気がさしている人もいるでしょうが、希望や未来は自分自身で作るもの。
いい事が来るでなく、いい事を創るって思いたいですね。

少しずつ春の気配。

2012年3月1日木曜日

雪が降りました。

この辺ではあまり雪が積もらないので珍しく雪景色。
子供の頃はもう少し積もった気もします。
寒い日。田地に籾殻が積んであって、火をつけてあったりしました。
薄い雪と籾殻から上がる細い煙が冬景色でした。

2012年2月20日月曜日

2012年2月11日土曜日

複雑なる水の袋。


何もなくなってしまったら
どうなるのだろうか、ふと考える

家も
家族も
想い出の品も
すべて無くなってしまったら

それでも人は生きて行くんだろう
何かを探しに
倒れるまで
それが生き物なのかもしれない
望みがなければ生きて行けない
それも人であろうが

生き物は
倒れるまで動けなくなるまで
生きるのをやめなかったからこそ
いままで生きてきた

目的も希望も最初からなかったのかもしれない
ただ生きる

生命は産まれたときから現象としてそう言う形だったのだ

見方を変えると生命現象は化学結合の流れのようにも見えるし
エネルギーの一つの形態のようにも見える

太陽や地球から流れたエネルギーが地球表面で上で化学結合の形をもって
ほんの少しの時間複雑な経路を流れ
炭化水素やアミノ酸タンパク質核酸などで水を包み込み
動き回る

動き回ってその他の鉱物やらの形を変え
地球上の物質の形を変える

それは光が地表の物質を変化させたり大気の流れを造ったりするのと
本質的に変わらないものなのかもしれない
しかしまあ不思議なものに見える
複雑なものに包まれた水が
動き回っているのだから

動き回るそれが生き物
植物もゆっくりだが同じように動き回っている水の袋と考えてもそんなに違わない
同じ生き物
意思とか感情とかを考えなければ
ものすごく変なもの
それが生き物という現象

でもこの宇宙のなかで存在しているのだから
それほど変わったものではないのかもしれない
基本的にそうなるようにできてるんだろう

だとしたら
生き物は生き続けるだろう
その形を条件付ける環境が続く限り

人はその環境を維持する方法をつくりだしている
条件に恵まれているからだが
この水の袋は
地表から別の星へ
物質を送ったりもする
何の目的もない生き物が
現象としてのエネルギーの滞留が
色々動き回る

生き物の一つ
水を複雑な膜で包み込んだ有機体で出来た動く塊
多の有機体を取り込みエネルーギーにし他の無機物を変化させ動き続ける
でも多分それは必然で
条件が続く限り動き続ける

だから
一時何も無くなったとしても
条件さえ整っていれば動き続けるだろう
たとえ何の目的もなくったって
動けるなら動き続ける

生きる
それが生き物
人も
その一つの形

不思議
不思議

周りに何もなくなったら
ある所を探して
倒れるまで
動きつづける

ただそれだけ
ただそれだけ


2012年2月9日木曜日

太陽と空。

光り輝く太陽を見ると、ああ、このエネルギーで生き物は生きてるんだなあって思います。
凄い遠い所、1億5000万kmくらい。光でも8.3分かかるらしいです。
ピカピカと光ってる。
磁気と大気に守られた空だからこそ、ああ気持ちいいと言えるんですけどね。
生き物って不思議。

2012年2月7日火曜日

雨ですが、雨もすき。

今日は雨で街もモヤってました。
雨は鬱陶しいですがキライではないです。しとしと雨もザーザー雨も、味わいがありますよね。見ていて雨だれがたれてるのも感じが良いです。
歩いていてずぶ濡れになるのは嫌だけど、一人でいると、もっと濡れてしまうとどうなるかとか考えたり、悲しいなあとか、それはどうしてなのかとか考えているとちょっと面白くなってしまいます。
歩道や地面の色が変わって、においも変わってくる。
その変化が面白いのかもしれません。雨。雨。

2012年1月22日日曜日

2012年1月18日水曜日

キラキラ。

すなはまたからもののようにきらきら。

夕日の中。


なんとなく誰かを思い出したくなります。
恋した人、ともだち、笑った日。
時は流れ、去ってしまった人々。
それでも
この世界は美しさをたたえ。
光を投げかけます。
きらきらと。オレンジに光って。静かに。

2012年1月14日土曜日

ワールドスタンダードって?

なんだか今の女性は、社会的な成功を求められ、出来る人はそうせいや、あたりまえだっていう雰囲気。
だけど、かつ子供を産んでしっかり育てて、おいしい料理も作り、家もセンスよく清潔に、かつ綺麗でいて、いつまでも恋愛できるように女であれって…どんだけスーパーな人間になれと…。


ハードルが高すぎれば、世の中、敗者だらけになるのはあたりまえですよね。


単純に言えば、ワールドカップでもオリンピックでも、トップ以外はすべて敗者。
みんなが一番になんかなれない。
一番に価値はあるけど、その価値を支えているのは多くの敗れてきた人々にある。

競技やコンテストはイベントであって、特別なお祭り。

そこでトップに価値を置くのは正しいけど、実生活にその感覚をそのまま当てはめちゃうと、極端な格差を生むことになっちゃうんじゃないかしら?

どこまで競争して、どこまで共生するのか、現代の社会的価値観は答えを用意してくれません。

なんか、あーあです。

2012年1月9日月曜日

大きいものと小さいものは同じじゃない。

ぼんやり考えて…。
大きいものと小さいものは、性質も仕組みも違うんだなと思いました。
人だとしたら高い所から落ちたら無事では済まないですが、アリは高層ビルのてっぺんから落ちても平気です。
アリクラスの小さい動物は、高い所が脅威ではないんですね。
体重の問題です。

大きさののどっかで問題が変わってしまう。

会社などの組織とかも、大きさによって問題が変わってしまうみたいですね。
ミニマムとマスの差。

物質の相転移にも似ている。
うーん、おもしろいです。

2012年1月5日木曜日

言葉。

言葉は、実はとんでもなく大雑把にしかと物事を表現できません。
例えばリンゴを知らない人にリンゴを説明しようとしても、
赤い、丸い、果物、白い果肉で、瑞々しく甘酸っぱい味、大きさは手のひらに入るくらい…
伝わるかな?
すっごく誤解される可能性もある。

でも、無いよりはずっといい。

だって、まったく見えない感じられない頭の中の考えていることを、
大雑把ながらも伝えることが出来る。
これはすごいことです。
とってもすごいことです。

何かをすると。

ぼのぼのというマンガの中で、
何かをすると、必ず何かが変わるんだよって言葉がありました。
確かに、何かは変わりますよね。
一時も止まれない時間の中で、自分なりに何かをして行きたいですね。