2011年9月23日金曜日

ライブハウスに行きました。

小さなライブハウスに、アイシー(スペル忘れた)という女の子バンドの ライブに行ってきました。ヘビメタ系な感じですかな。

 最初の横浜無双(字は知らない)と言うバンドも面白かったです。
 リーダーが酔っぱらってたけど…。

 アイシーは2番目でした。 ^▽^みんな元気でしたす。

3バンド目のパンクバンドは、客席スペースで白菜や大根で ギターを弾いて
そこら中野菜が飛び散りやした。^▽^、、
 横浜無双のボーカルの女の子が片付けていた。あはははは。

 3バンド後フェイドアウトしてしまいましたが…。
(後のバンドの方ごめんなさい^^、耳が持たなかたす)、 パワフルでしたよー。


現代の性って。

イラストサイトを見ていて、ふと考えたんですが、やれロリだBLだ百合だと、
性に関する絵が氾濫。

基本的には見ないんですが時々当たってしまうし、
コミケで主流らしい事は噂で解ります。

グラビアやアイドルも、性アイコンとして氾濫ぎみだし、
AVやネットの性はもはや訳解らんようになってるし…。

欲望の一つとは言え、商品化され遊戯化された性って何なんでしょう?

みんな本当は愛を求めてるみたいに見えるのにね。
飢餓状態で食い散らかしてるみたいで、いやですねぇ。

2011年8月16日火曜日

まんが家志望の人へ。

ツイッターに描いた事のまとめですけど。

某大学のまんが科の作品集をチラリと見ました。少し個性の弱い同人誌の雰囲気でした。
もっと個性を出すといいんじゃないかしら、と思ってしまいました。がんばって学生さん!です。

今のまんが家志望者の情況は、少し土台となる所が弱いかも…。ヒット作はほとんど長編で、
短編で優れた見本となる作品が少ないですからね。意図して探さないと見つかりません。
過去の作品に多いからよく探すといいんですけど…。映画もいいんですが、いわば一話完結ですから。
名作あさると手早い。

頭角表す人は、やっぱり色々見てる場合が多いので、まんが、映画、小説、優れた一話完結を沢山見て欲しいです。
海外ドラマも良く出来てますね。群像劇になってますが、よく練り込まれていてちゃんと一話で終わります。
まず、これを土台として自分の感性を表現する技術を身につけると強くなれますよ。
たぶん、連載物の見本は見てるでしょうから、短編のテクニックをつけると自分のイメージを
制御できるはずです。

2011年8月8日月曜日

デジタル後のTVは。

デジタル化されてから、TVへの愛着がガクンと減ってしまいました​。

なぜなのかなーと考えたら。HDに合った番組が無いからかもっ​て思った。
代わり映えしないものね。

きれいな風景とかじっと見て​ても大丈夫なのに、すぐショットが切り替わってしまう。
スイッチ​ングが早い。
海外バラエティとかももう少し風景みたいのにって所で切り替わっ​ちゃう。

アナログだとじっと見ててもよく見えない、だから切​り替わってもいいの。むしろ長く見ちゃあらが出る。
しかしHDな​らもう少しいける、むしろ見たい。
アナログ発想から抜けてないスイ​ッチングは問題だけど、関係者は気づいてない。たぶん。
もう、当たり前になってるからね。全体に違って来てるのに気づか​ない。だめだよー。
TVつまんないって言われても仕方ないよう。​>〜<

2011年7月18日月曜日

カオスとネット

ネットの世界は自由で、なんでもあるってイメージがありますよね。
一面そう見えますし、事実色んな考えを自由に出せます。
ただ、そこは実生活を持つ人間がやっていことなので、真のカオスではないのは
あきらかです。
真のカオスはいわば白紙と同義ととってもいいわけで
究極の混沌は動的な白紙、真空と捉えられます。うん、ちょっと物理学の言う素粒子を生み出す
真空ににていますね…。
それはさておき、ネットが真のカオスならば、そこから突然ぽっと意外な物が生み出される…
ま、そこで全体としてはカオスじゃなくなるんですが、分離してしまえば関係なく、また動的白紙となる。
すばらしい創造装置ですね。
ですが、ネット世界は実は強い指向性、まるで保守政党のようなカチカチの価値観があって
その価値観に合わない物を攻撃したりする、きわめて人間的な性質をもっている。
ウィキリークス、ハッカーの既存権威への攻撃なんかもそうかもって思います。
理由はネットのフリーを守るって大義名分ですね。
ああ繰り返し…歴史の上で見て来た形が透けて見えます。
しかし、擬似とは言えカオスっぽい状態をつくったわけですから、それはすばらしい創造装置になりうる
んだから、特に思想、アートならば、あたたかく見守っても良いんじゃないかいな。
分離しちゃえばいいんですよ。
そうすれば、創造装置は健在。

2011年6月19日日曜日

リア充ってについて。

リア充って聞きますよね。リアルに充実してていいね。って、恋愛をしてる人達に対する、おもに非難をする感じで使われます。

ちょっと自虐的っていうか、どうせ、私には来ないよって言うニュアンスもあって、またまた、そんなもん欲しくないってなニュアンスもある。

そっからなんですが、感じる物は、今の恋愛に対して不満があるのかなって所…。やはり、綺麗だったりかっこ良かったりしなきゃダメなんだ、じゃなきゃ、面白いとか、明るいとか…だったら最初からダメじゃん、最初から成り立たないって感じの不満かな…。まあ、条件としては間違ってはいないんですが。人は変わるってことのファクターが入ってないかな。

その辺は、リア充言う前に考えてもいいと思いますが、今の恋愛像てのにも問題あるからそう言う言葉がでてくるのかも、とも思っちゃう。ドラマとか雑誌とかネットでも、メディア全般で、綺麗かわいいかっこいい当たり前状態ですからね。そんな人しか出てこないし、学校が舞台だと無駄にかわいい子ばかりだったり、カッコいい子ばかりだったり。引け目感じてもおかしくない。大問題。

しかし、実を言えばそれを強く支持してるのも、リア充を叫ぶ人と重なってないかしら?
もし、そうだとしたら自分で自分の首を絞めるってヤツなのかもって気もします。コミケを代表とするオタク文化にはそう言った面があって、自己矛盾してるかなって思います。きれいな理想を求め絵でそれを具現化して、またそうしてくれる人を支持しながらますます自分自身とは離れていく葛藤がリア充て言葉に込められてる気がします。

まあ、今も文化全体にもっと綺麗になれる、圧力は感じますけどね。矛盾と言うか無理な事あるってことに気づいてないだけかも。

オタク文化は、自分達で直接扱ってるから気づくんでしょうね。うすうす。