2012年11月11日日曜日

いろいろiroiro

時々
思い出してしまうことは
あー色んな失敗をしてしまったよねーと言うこと
まあ、失敗しないってことは不可能なんだろうけど
失敗自体は、
だいたい疲れて投げ遣りになった時に起きてる感じがします。
努力不足なのか、強情なのか
失敗自体は取り戻せてないことが多いですね。
人に対する失敗だと
きっとそのことで対した人は
私を嫌な人間だと思ってるだろうなって思います。
本来
謝るとか説明をすれば
ちょっとは違うのかもしれませんが
やらなかったりやれなかったりしながら
時が経ってしまってます。
幾つかは
特に記憶にいつまでも残ってるのは
そう言うことが出来なかった事。
記憶に残ってるってことは
何とか取り戻そうと考えてるのかもしれませんね。
まあ、失敗を
取り戻したいのは
少しは良い人だと思われたいのかもしれません。
なかなか上手く行かないけど
失敗も
何かの役に立てたいんでしょう。
まあ、形を変えて
役に立てるしかないのかも
とも思います。
そうだね。
何かで役に立てれば
失敗も役に立つことになって少しはましかも。
なるべくそうして行きたいな
と思います。

2012年10月10日水曜日

むかしのこと。

今日の夕刊に
認知症で会話もままならない老人が
昔の話を聞かれるとよく覚えていて
ちゃんと会話が出来た。と言う記事がでていました。

何となく
それについて覚えがある事は
母が入院していて
もう声も出ず身体も動かないので仕方なく
見舞いにいく度に、母が若い頃の、昔の歌のCDを小さくかけていました。
消灯になってしまったので止めて帰ろうとすると
6つあるベッドの同室の方が
「もう終わりなんですか?」と声をかけてきました。
「ご迷惑かと思って」と言うと。
「とんでもない。みんな楽しみにしているんですよ。私たちは今の歌より昔の歌の方がいいんですよ」と言いました。
「そうですか。じゃあ、もう少しかけておきますね。30分くらいしたら自動的に止まりますから」
そういって再び曲をかけて帰ろうと、ふと母の横のベッドを見ると
いつもは奇声をあげ、身体をねじってばかりいて認知症かなと思っていた女性が
私を見て手を合わせてお礼を言っているようです。
そうかこの人も聞いていたんだなと思うと、不思議なような寂しいような気持になりました。

全員老いた女性の病室
彼女らが若くそれぞれに働いたり恋をしたりした時代の曲。
消灯された病室で
その思いは静かに流れる曲とともに
幻のように浮かんでいたのかもしれません。





2012年10月1日月曜日

ストーリー作り。

ストーリーってある程度形が決まっていて
面白い話とか、伝わる話には構造があったりします。
それは、映画とか小説とかを見たり読んだりしていても解る。
いっぱい見てると自然に分っちゃう。

最初は、その場がどうなってるか理解する所
で、何か出来事が起きて
どうにもならないかもと展開してゆく
で、工夫したり、勇気を出したり、決断したりして
結果となる。
こんな形が基本形です。

つまりは
追い込まれた時、どうそれを乗り越えるか
を見せると、面白い。
人は困難を乗り越えるのが好きなんです。

ファンタジーにしても恋愛にしても
同じ構造です。

乗り越え方によって
笑っちゃったり、感動したり、爽快になったりします。


物語は一種の疑似体験で
自分がそこに入り込めば入り込むほど
面白い訳で
状況や人物に興味を持てれば入り込みやすい
自分に似ているとかまたは正反対な人物
この人はどうするんだろうと興味を持てれば
読んだり見たりします。

作り手は
そんなちょっとした所を
大事にしてよく考えて創っています。




2012年9月17日月曜日

夏ももうすぐ。

まだ暑い日が続いていますが、夏は終わりつつあります。
プールに行きました。

2012年7月23日月曜日

好奇心が人の文化をつくる。

なんだかんだと言って好奇心旺盛な人類は、
珍しいもの、目新しい物が大好きで、
それが便利だったり楽しかったりすると、わらわらと寄ってきて
夢中になっちゃうものです。

ただ、たとえ新しいものでもつまらなければ、
最初は寄ってくるものの、あとは無関心になっちゃう。

難しくて自分に使えない物も、どんなに便利でも、ポイですね。

商品やコンテンツなどに顕著だけど
なんだか思想、制度とかも同じじゃないかな…と思ってしまいました。

2012年7月14日土曜日

きざはし。

ぼんやりと社会、文化を見ていると、無秩序と破壊、欺瞞、不信、攻撃、逃避、疲労などの斑模様が見えますが、でもその中に。
なにか、何かは解らないけど。
何かの萌芽のような、胎動のようなものを感じます。
何かが変わりつつあって、荒廃の先に、次の社会、文化が生まれる予兆がするような気がします。
何かは解らないほど微かではありますけどね。

2012年6月30日土曜日

物語について。


昔話や神話などの物語は遠くから見ている視点で描かれている。

昔々ある所でおじいさんとおばあさんが居ました…。おじいさんがどんな人か、何を考えているかは描かれない。
おじいさんは、たんに年をとった人なのだ。感情は窺い知る事しか出来ない。たとえ悪い狸におばあさんを殺されてしまっても、おじいさんは嘆き悲しみました。というくらいにしか描かれない。あくまで離れた視点、外から見た出来事。それが昔語や神話の世界の表現だ。
出来事が主で、出来事で淡々と物語が進む。個の感情は、あまり伝わってこない。

だが、近代の小説などは外からの視点でなく内からの視点、考え、感情で、描かれる事が多くなる。これは個という考え方が広まってくるにつれて顕著になってきたようだ。いわゆる内証的な物語が好まれるようになった。他の人が何を見、何を感じているかを知りたい。そう考えるようになったのだろう。
そうなると個の視点なので状況は個が感じたものになる。客観的ではないので多くの人がはっきりと分る状況ではない。個人的な主観なので事実と異なっている場合も分らない事となる。一つの出来事は、個々に幾つもの解釈が生まれるものだが、出来事そのものはあくまで主人公の視点での解釈となるので、解釈についてあまり多様性は生まれない。その辺を突いたのが、芥川龍之介の「藪の中」の物語なのかもしれない。登場人物のそれぞれの視点で、出来事が全く違う形で解釈されていく。夏目漱石が、個の視点での小説を追求した時期に登場しているのが面白い。

さて客観的な出来事を描かないで、個を描く道を進んだ小説は、出来事を外からの視点で描く事をやめ、その代わり感情の変化を描く事で出来事の形を見せる事となる。描写は細かくなり感情や思考は変化し続ける。葛藤や悩み、喜び恐怖と言った感情が中心となって、個にとって何が起きたのかが描かれる事となる。

先ほど書いたようにこの出来事は、あくまで描かれる主人公の主観であって、客観的な事実であるわけではない。人生そのものも主観でしか感じられない事は事実ではあるが、偏ったものの感じ方も生まれるかもしれない。個の視点は客観とは違う。ここには注意しなくてはならないだろう。

小説にしろ、マンガ、アニメにしろ、映画、ドラマにしろ現在の物語は殆ど主観の物語だ。
それは感情を細かく描き、人の心を大いに揺すぶるが、あくまで個の主観に基づく物語である。
そこでの出来事は多くの人が納得する事実ではない可能性がある。そこを踏まえて感じ取らないと、バランスを欠いた感覚に陥らないか少し心配である。何か現代においての、様々な問題に関係しているかもしれない。

昔話や神話の持っている客観的視点。
主に主観で描く現在の物語形式で描いている私にとっても、それはとても面白いものと感じられている。